桃太郎公園 >> 桃太郎神社 >> 桃太郎伝説 | |||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
桃太郎伝説は古事記から始まる |
|||||||||||||||||||||
桃太郎の神話は日本で一番古い書物の古事記に記してあります。その話を最初に物語ってなぜお伽噺(とぎばなし)の桃大郎さんが神社にお祀(まつ)りしてあるかをお話いたします。![]() するとみにくい姿を見られた女神は怒ってシコメ軍という黄泉の国の鬼共を呼び集めて男神を追いかけて捕えよと命じました。 男神は十拳(とつか)の剣を抜いて後手にふりつつ黄泉比良坂(よもつひらさか)とう所まで退いてこられました。見るとそこに大きな桃の木があって桃がたくさんなっていましたので男神はその桃の実をとって鬼共めがけて投げつけられますとどうしたことか鬼共は頭をかかえて一目散に逃げ帰ってしまいました。男神は桃の実のおかげで思わぬ危難をまぬがれることができましたので大層喜ばれ桃の実に大神実命(おおかむづみのみこと)という御神名を賜ると同時にこれから後の世の人々が、若し私の様なめにあって苦しむことがあったらお前行って助けてやってくれよとおたのみになりました。 後に其の桃の実が桃太郎に生れ変って来て人々を苦しめる鬼共を退じられたというのが日本ラインの伝説でありまして、この日本ラインには今も桃太郎の話にある言葉が何一つ不足なく山や村の名となって昔から伝え残されていますからこれを物語ってみます。 |
|||||||||||||||||||||
日本ライン桃太郎伝説 |
|||||||||||||||||||||
昔々その昔、木曽川のほとりに粟栖(くりす)という村がありました。現在の犬山城から三キロ程山奥です。その山里にお爺さんとお婆さんが仲よく住んでおりました。まことに情ぶかい正直ものでありましたから村人からも慕われておりましたが淋しい事に子供がありませんのでお爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行って一生懸命働きながらどうか私らに一人よい子供が授かりますようにと願っていました。 |
|||||||||||||||||||||
川から大きな桃が −桃太郎誕生− |
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
乳母の懐に土田(可児市)の子供を抱いた母が |
|||||||||||||||||||||
桃太郎は年とともにぐんぐん力もちになりました。 或日お爺さんの柴刈りの手伝いをしながら山奥へ入って行きますと子供をふところに抱いた女達が肩を寄せ合ってシクシク泣いているのです。なさけ深い桃太郎がやさしくわけを尋ねますと、「私達はこの山向うの土田村(どたむら)の百姓ですが可児(かに)川の中の鬼ケ島にすむ鬼共が近郷近在を荒し廻り女・子供をさらって行きますのでこうして可愛い子供を抱いてかくれておりますが今に見つけ出されてひどい目に合わされるのではないかと思うと恐ろしくて生きた心地もしません。どうか助けてください。」と話しました 。ここは今も乳母(うば)の懐(ふところ)と呼ばれております。そして可児川(かにがわ)には鬼ケ島と呼ぶ島があります。 |
|||||||||||||||||||||
きびだんごを持って鬼退治に |
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
坂祝町から合戦始まる |
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
桃太郎が川を今渡った |
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
桃太郎 鬼退治 凱旋で祝ったところが坂祝 |
|||||||||||||||||||||
![]() こうしてさすがの鬼共も降参しました、もう決して悪いことはしませんと改心したしるしに宝物を全部さし出しました。桃太郎の一行は宝物を車に積んでめでたく帰路につきました。途中の村々では大喜びで倉から酒を出して凱旋(がいせん)を祝ったと云うことです。酒倉(さかぐら)のあった所を酒倉村、祝った所を坂祝(さかほぎ)村と今も呼んでおります。 |
|||||||||||||||||||||
宝を積んで村人に報告したのが宝積寺 |
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
無事 おじいさんおばあさんの元に |
|||||||||||||||||||||
こうして立派に目的を果し沢山の宝物をおみやげに無事我が家へ帰った桃太郎はイヌ・サル・キジのお供にもそれぞれ宝物を分け与え其の忠勤を謝してひまをやりました。イヌは犬帰(いぬがえ)りという所の岩門をくぐって、犬山(市)へ、サルは猿洞(さるぼら)、キジは堆ケ棚(きじがたな)へと帰って行きました。 |
|||||||||||||||||||||
その後の桃太郎 神様に |
|||||||||||||||||||||
その後村々には平和な日が続きました。桃太郎はお爺さんお婆さんに孝養をつくし二人共やすらかに天寿を全うすると、もう私の役目もすんだというように近くの山へ登ってそれっきり姿をかくしてしまいました。それ以来村人は桃太郎の姿を二度と見る事が出来なくなりましたが不思議な事にその山の姿がだんだん桃のような形に見えてきました村人は驚いて、さては桃太郎さんは桃の神様の生まれかわりであったのか、そして子供の姿となって此地へ現れ人々を苦しめる鬼共を退治してくださったのに違いない、とその山を桃山(ももやま)と呼んで崇拝するようになりました。その後この山の麓に小さなお社を作って桃太郎さんをおまつりしました。 |
|||||||||||||||||||||
鬼ケ島の近くは平和になって春里に |
|||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||
桃太郎神社 キジがお導き今の地に |
|||||||||||||||||||||
![]() そこは昔から桃太郎さんの古屋敷と呼んでお爺さんお婆さんの屋敷あとが有る所です。そこでこれは御神意によるものとしてその山にお宮をこしらえ昭和五年にお遷し申したのが今の桃太郎神社であります。この時あたかもこれを迎える様に沢山のおサルが山から出て来て其の奇瑞は人々を驚かせました。 |
|||||||||||||||||||||
毎年5月5日に桃太郎まつり |
|||||||||||||||||||||
桃太郎神社は国定公園木曽川の中でも最も景色のよい日本ラインの中心地にあります。ライン下りの方も下船場上流2kmの桃太郎神社へ参拝してください。宝物館にはきびだんごを作ったという大昔の臼(うす)や杵(きね)やねり鉢をはじめ鬼のミイラやガイコツの写真など珍らしい資料が沢山展示され大人にも子供にも興味深く学生は無論のこと、各地から見学者がおとづれます。尚この桃太郎神社の宝物は京都二條城に於ける日本の名宝展をはじめ各地の展覧会やテレビに出品し学習雑誌にも紹介されて好評を博しております。 ◎桃太郎まつりは五月五日の子供の日に桃太郎に扮した子供達によって行われます。 |
|||||||||||||||||||||
|